跟…生气 vs. 生…的气――何が違うか説明できる?

2025年10月2日木曜日

文法

X f B! P L
跟…生气/生…的气

キッカケは謎の問題文

「お母さん、私に怒らないで、(やっぱり)お父さんに怒ってね。」



???

合格奪取! 中国語検定2級 トレーニングブック 筆記問題編」に出てきた翻訳(日本語→中国語)問題なのだが、意味が分からない。日本語ヘタすぎない?
昨年、中検2級に向けて勉強していた頃の私は、この問題に出会って頭の中がハテナだらけに。私が通っている中国語教室の先生も首をかしげていた。

ちなみにこのトレーニングブック、昨年改訂版が出て、この問題はなくなっていた。

話を戻そう。この問題に対する私の回答はこれ。

    妈妈,不要跟我生气,还是跟爸爸生气吧。

ザ・直訳。仕方ないと思う。問題がおかしいのだから。
先生も「問題が悪いのでruiruiさんの回答で正解です」と言ってくれた。

一方、解答例はこう。

    妈妈,你别跟我生气啊,还是生生爸爸的气吧。

先生曰く、解答例の中国語は「なんで私を叱るの!?お父さんのせいじゃん!!!」って感じらしい。

この問題のポイントは“生气shēng//qì”が離合詞なので、目的語を取れないという点だろう。それは理解できる。
だが、なぜ前半の「私に怒る」には“跟…生气”、後半の「お父さんに怒る」は“生…的气”が用いられているのか?

解説にはこう書かれていた。

“生气”は離合詞なので、重ね型は“生气生气”ではなく、“生生气”となり、「ちょっと怒る」という軽い意味。また“生气”の後に目的語が取れませんので、“跟…生气/生…的气”のように言います

肝心の使い分けに関する説明はない。解答例は単に二種類の表現ができることを示したかっただけだろうか?
当時は「日本語ヘタすぎ問題」で先生と盛り上がってしまい、この使い分けについてはスルーしてしまった。

ところが先日、トレーニングブックを見返していてふと疑問が再燃。

しかも“生生爸爸的气”の“爸爸的气”は日本語に訳すと「お父さんの怒り」だが、実際にはお父さんが怒っているわけではない。お父さんはむしろ怒られる側では?と気になってしまったのだ。
そこで改めて先生に聞いてみた。

先生の答えは「“跟…生气”は東北の方言かもしれませんね」「もちろん“跟…生气”でも意味は分かりますけど、私は言いません」というもの。
なるほど、西安人の先生は使わない表現らしい。それは分かった。しかし、私が知りたいのはそういうことじゃない。
なぜ“跟…生气”と言う場合と、“生…的气”と言う場合があるのか、ということだ。

先生はこの問題に対してあまり興味がなさそうだったので、これ以上煩わせるのも悪い気がして、ここから先は自分で調べることにした。

“生…的气”の“…”は「誘発者」!

“生气”は離合詞なので、まず離合詞レキシコンで調べてみた。
が、この問題には触れられておらず。

V-N構造にあたるが、動作ー対象関係が明らかではない。
典型的離合詞であり、各種の典型用法が見られる。
使用例には、「頻度」や「時間」の挿入よりも【生(誰か)的气】の用法がかなり多くある。


ところが、ダメ元で論文を探してみたら、李菲(2019)「中国語“VN的O”構造におけるNと事態の関係性」に、まさにドンピシャの説明があった。

まず、“跟…生气”と“生…的气”の使い分けについて。

“PNVO”では動作主による明確な行為が見られるのに対し、“VN的O”のほうはSの内面の、心理的な動きに止まることが多く、具体的な行為が観察しづらい傾向がある。まず、“生气”を例に見ると、“S跟N生气”はSがNに対し「ことばや態度などで怒りを露わにする」場面を表すことが多い。

PNVOが“跟…生气”、VN的Oが“生…的气”だ。

したがって、解答例
    妈妈,你别跟我生气啊,还是生生爸爸的气吧。
の前半では、実際にお母さんが「私」に怒っているので“跟…生气”が使われ、後半ではお母さんはまだお父さんに対して怒っていないので“生…的气”が使われている、というわけだ。

さらに、こうも書かれていた。

Nは事態を引き起こす「誘発者」、またはそうした感覚や知覚を体験する「主体」である。“PNVO”と“VN的O”の両方を用いる両用型では、“VN的O”のほうが行為としてとらえにくい、心情や関係性を表す傾向にある。この場合、Nは「誘発者」や「関係性を成り立たせている原因や前提」となる。

なるほど。まさに先生が言うように「お父さんのせい」でお母さんの怒りが誘発されているから“生…的气”が使われているのだと分かった。

まとめ

“跟…生气”と“生…的气”の違いをまとめると

    “跟…生气”:実際に相手に向かって怒っている
    “生…的气”:心の中で誰かに対して怒りを感じている

ということになる。

この二つの表現には、明らかなニュアンスの違いがあることが分かった。
おかしな日本語の問題文のおかげで記憶に残っていた疑問が、思いがけず中国語の深い世界へとつながっていった。


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