はじめに
『山月記』と言えば、高校現代文の授業で習ったという人も多いだろう。中島敦によって書かれた短編小説で、昭和17年(1942年)に発表された。
私は、通っている中国語教室の授業で『山月記』の中国語翻訳版を読んだのだが、そのことがきっかけで、作中に出てくる「狷介(けんかい)」という言葉の意味について考え直すことになった。
一般的には「頑固」「気難しい性格」を形容するネガティブな語と解釈される「狷介」だが、中国人の先生は、ポジティブな意味として解釈したのである。
図書館のレファレンスサービスを利用して戦前の辞書まで調べてみると、『山月記』発表当時には「狷介」という語が現在の日本語とは少し異なる意味で使われていた可能性が見えてきた。
この記事では、戦前~昭和中頃の辞書を参考にしながら、「狷介」という言葉を手掛かりに『山月記』の李徴像を読み直してみたい。
目次
中国語版『山月記』で先生に指摘されたこと
現代文の授業で『山月記』を学ぶと、李徴は自分の才能を鼻にかけた傲慢な人物だったと説明されることが多い。それは作中で以下のように書かれているからだ。
隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
中島敦「山月記」『李陵・山月記 弟子・名人伝』(KADOKAWA、2024年)
これを中国語版では次のように翻訳している。
陇西李徵,博学多识,才能出众。天宝末年,年纪轻轻便名列虎榜,后调补江南尉。李徵性情狷介,自视甚高,不甘于做一名区区小吏。
中岛敦:《山月记》,《山月记》,李默默译(江苏凤凰文艺出版社、2020年)
中国語“狷介juànjiè”の意味
中国語教室の先生は、中国で生まれ育った中国語ネイティブ。先生は「天宝」がどのような時代であったかを詳しく説明してくれたうえで、李徴の性格を表す“狷介juànjiè”について
「“狷介”はどういう意味ですか?」
と、私に問題を出した。
予習はちゃんとやってある。
狷介(けんかい)な、片意地である
『中日辞典 第3版』:狷介
私は自信を持って
「“固执”(頑固である)と同じような意味ですよね」
そう答えた。
すると先生は
「うーん。そういう面もあるけど…でも違いますよ」
と、私に遠慮しつつ、はっきり間違いだと指摘した。
先生は続けて
「“狷介”は正義感が強くて信念を持っている人を形容するときに使います」
と、教えてくれた。
そんな馬鹿な!?
私が知っている狷介の意味と全然違う。
しかし、帰宅してから中中辞典で“狷介”を引いてみると、確かに次のように書かれていた。
性情正直,不肯同流合污
(性格が正直で、決して悪人に同調しようとしない)
※日本語訳は筆者による
《现代汉语词典 第7版》:狷介
中日辞典の語釈と違うではないか。
日本語「狷介」の意味
じゃあ日本語では?手元にあるカシオの電子辞書には『広辞苑』と『明鏡国語辞典』が入っている。
それぞれ引いてみると、
(「狷」は頑固、「介」は堅いこと)固く自分の意志をまもって人と妥協しないこと。
現在は多く悪い意に使う。
『広辞苑 第七版』:狷介
かたくなに自分の意志を守り、人と和合しないこと。
「狷」は片意地、「介」は堅いの意。今は多く悪い意に使う。
『明鏡国語辞典 第二版』:狷介
いずれも「頑固で人に迎合しないこと」というネガティブなニュアンスで説明されている。
中日辞典の語釈ともまあ一致している。
しかし、一つ気になることがある。
「現在/今は多く悪い意に使う」という注記だ。
「現在/今は」ということは、昔は違ったのでは?
戦前における「狷介」は現在と意味が違った
『山月記』が発表されたのは昭和17年(1942年)。戦前である。中島敦がこの作品を書いてから80年以上経っているわけだが、それだけの期間があれば語の意味が変わっていてもおかしくはない。
作品が書かれた当時は「狷介」という語に現在ほど否定的なニュアンスはなく、むしろ肯定的な、そうではなくても中立的なニュアンスだった可能性はないだろうか?
もしそうだとしたら、李徴という人物の捉え方が変わってくるのではないか。
そこで図書館のレファレンスサービスを利用し、戦前から昭和中頃の国語辞典で、「狷介」の意味が確認できる資料をいくつか紹介してもらった。
確認したところ、やはりと言うべきか、現在の「狷介」の意味とは少し違っていたのだ。
人ノ性質ニ、頑ナニ志ヲ執リテ、情ヲ容レズ、聊カナル不義、不正ヲモ、敢ヘテセザルコト。狷狭。
大槻文彦著『大言海 第2巻 く-す』(富山房、1933年):狷介
(「狷」は分を守って不義をなさぬ意。「介」は不抜の意)固く執って人と相容れざること。操を守って孤立してゐること。
新村出編『辞苑』(博文館、1935年):狷介
「頑なである」という否定的なニュアンスはありつつも、本質は「不正をしない」「義を重んじる」点にあるように思う。
つまり、「狷介」は単なる短所ではない。
融通は利かないが、自分が正しいと信じたことは決して曲げないという、ある種の気高さも含んだ言葉と言えるだろう。
一方で、現代の用法と同じように、頑固さを前面に出す辞書もあった。
自己の意志を固執して、人を容れざること。耿介。
『大辞典 第9巻 クナ-ケンタ』(平凡社 1935年):狷介
試しに国立国会図書館デジタルコレクションで出版年を1942年に絞り、「狷介」の用例を検索̪してみたところ、肯定的なニュアンスで用いられているもの、否定的なニュアンスで用いられているもの、両方があった。
そのため、中島敦がどちらの意味で「狷介」という語を用いたのかは分からない。
中国語本来の意味は?
「狷介」は中国語由来の言葉である。そこで、当時の中中辞典における「狷介」の意味を確認してみたところ、現代中国語と同じく「節操を守り、不正や悪事に同調しない」という肯定的な意味の語として載っていた。
謂廉潔自守不苟取與也。
(自らを清廉に律し、不正な利益の授受をしないこと。)
※日本語訳は筆者による
方毅等編『辞源』(商務印書館、1933年):狷介
ということは、「狷介」という語が日本語に取り入れられ、使われるうちに、「頑固で人と協調しない」という否定的な意味が強まったのかもしれない。
『山月記』はこんな読み方もできるかもしれない
ここから先は、辞書の内容を踏まえた私の勝手な解釈である。中島敦自身がどの意味で「狷介」を用いたかは断定できない。
しかし、彼が漢文に深い素養を持っていたことを考えると、中国語本来の意味も意識していた可能性は十分考えられる。
この視点で『山月記』を読み返すと、李徴の人物像が少し違って見えてくる。
李徴は「下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈する」ことを嫌って辞職してしまった。
現代文の授業では、プライドの高い李徴が下級役人の地位を屈辱に感じたためだと説明されることが多い。
李徴には自分が優秀だという自負があった。
そんな彼にとって「江南尉」という都から離れた場所の役人の地位が不満だったのは間違いないだろう。
しかし、それだけだろうか。
「天宝の末年」という時代背景も見逃せない
李徴が進士の試験に合格した「天宝の末年」頃というのは、唐王朝の政治が完全に腐敗していた時代だった。天保年間の玄宗皇帝は政治に飽き、寵愛する楊貴妃とともに奢侈に溺れたからだ。玄宗皇帝は楊貴妃の一族に高い地位を与え、自分に諫言する者は左遷して遠ざけた。
その結果、中央政府ではたいした能力もないのにコネや賄賂を使って出世した人間が幅を利かせていたのである。
こうした時代背景を考えると、「膝を俗悪な大官の前に屈する」ことを良しとしなかった李徴には、単なる傲慢さでは説明できない部分も見えてくるように思う。
「俗悪な大官」「鈍物として歯牙にもかけなかったその連中」とは、決して李徴の負け惜しみではなく、本当に俗悪で鈍物の役人だったのではないか。
李徴は確かに自尊心が高く傲慢であったかもしれないが、一方で、清廉潔白な人間でありたいと願い、高い志を持つ青年でもあった。
そんな理想に燃える若き役人だったからこそ、不正がはびこる世界になじめなかったのではないだろうか。
『山月記』というと、現代文の授業では「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」がキーワードになっている。
李徴が虎になったのは、周囲を見下し、独りよがりであった彼の生来の性格のせいだ、と言いたいのだろう。
10代の少年少女への「自意識をこじらせて孤立していると、李徴のような悲劇に陥るぞ」という道徳的なメッセージだ。
もちろん、そういう読み方は問題なく成立すると思う。
私自身、今回の件がなければそう理解していた。
しかし、「狷介」という語の原義から李徴という人物を改めて考えてみると、彼の自尊心の高さは単なる驕りではなく、「自分の理想を裏切れない高潔さ」に由来するように思う。
すると、『山月記』はプライドの高さという欠点ゆえに失敗した男の物語ではなく、むしろ、高潔であったがゆえに時代と折り合いをつけられなかった男の悲劇として読むことができる。
どんなに立派な志を持っていても、時流に逆らってはどうにもならない。世の中とは不条理なものなのだ。
まとめ
私は高校時代に『山月記』を習って以来、「狷介」を「頑固な」「気難しい」くらいの意味だと思っていた。しかし、中国語の授業をきっかけに辞書を調べると、この語には
それを踏まえて『山月記』の冒頭部分を読んでみると、李徴という人物は「プライドが高い傲慢な男」という単純な人物像では収まらない。
授業とは違う読み方をしてみても面白いのではないだろうか。
参照した辞書類
大槻文彦『言海』(秀英舎、1891年)上田万年、松井簡治『大日本国語辞典 第2巻 く-し』(富山房、1916年)
大槻文彦『大言海 第2巻 く-す』(富山房、1933年)
方毅等編『辞源』(商務印書館、1933年)
新村出編『辞苑』(博文館、1935年)
平凡社編『大辞典 第9巻 クナ-ケンタ』(平凡社、1935年)
石山福治編『最新支那語大辞典』(第一書房、1943年)
宮島吉敏、矢野藤助『ポケット中国語辞典』(愛育社、1948年)
旺文社編『華日大辞典』(旺文社、1950年)
金沢庄三郎編『広辞林』(三省堂出版、1954年)
時枝誠記編『例解国語辞典』(中教出版、1956年)

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