先日、ある生徒さんが机の上いっぱいに持ってきた本を広げていたのだが、その状況を見た中国人の先生が何気なく、“哇,桌子上都是书!”と言った。
直訳すれば「机の上はすべて本である」といったところだろう。「机の上が本」とはこれ如何に。
状況から判断して、先生が言ったのは「机の上が本でいっぱいだ」ということなのは分かる。
しかし、“是”といえば、“A是B”でAとBが等しい関係であることを示す動詞のはずだ。
たとえば、
- 我是日本人。
私は日本人だ。
なぜ机の上に本がいっぱい広がっていることを表すのに“是”を使うのだろうか。
その疑問は、辞書を引くと一瞬で解決した。
“是”の用法の一つに、「存在」を表す用法があったからだ。
まさに“桌子上”=場所、“书”=その場所に存在しているもの、で今回の状況に当てはまる。前に場所を示す語を置き、後にくるものがその場所に存在しているものであることを説明。
『中日辞典 第3版』:是
例文を見てもよく分かる。
山坡上全是栗子树。
山の斜面は全部クリの木だ。
村子前面是一片水田。
村の前には水田が一面に広がっている。
『中日辞典 第3版』:是
だが、ここで新たな疑問が生まれる。
存在を表す中国語なら、“有”があるではないか。
しかし、いざ“桌子上都是书”を“有”を使って言い換えようとすると、ぴったりくる表現が思いつかない。
パッと思いついたのは
- 桌子上有很多书。
机の上に本がたくさんある。
この点については、“是”の「ある場所に存在する事物をいう」用法の解説に以下のように書かれていた。
注意:これらは、その場所を1種類のものが占めているという表現であり、単にそこにものがあるということをいう“有……”とは異なる。
『中日辞典 第3版』:[汉语小知识]是……
文法書にも同じことが書かれていた。
“是”を用いる文で、場所名詞や方位名詞を主語とし、その場所が動詞“是”の後の賓語が示す人あるいは物で占められている、という意味を表す形式がある。
桌子上是书(机の上は本ばかりだ)
“是”を用いた文で存在を表しているが、“桌子上有书。”(机の上に本がある)とは意味が異なる。輿水優・島田亜実『中国語わかる文法』(大修館書店、2009)
なるほど。
“有”ではその場所が一種類のもので占められているというニュアンスまでは表せないため、“桌子上都是书”は“桌子上有很多书”と言い換えできないということだろう。
そう言えば以前、台湾の作家・三毛のエッセイを読んだ際、雨でびしょ濡れの人を指して“浑身是水”という文が出てきた。
その際も「全身が水」ってどういうこと?と思いながらも、三毛は作家だから比喩か何かだろうと読み流してしまった。
何のことはない。存在を表す“是”で説明がついたのだ。
“是”は初級で習う基礎中の基礎の動詞だけに、改めて調べてみると知らない用法が出てきて面白かった。

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